野上小達老師談話

六合大槍術秘伝【決勝槍】

中国政府出版物『中国武術大辞典』掲載『中国伝統 開門八極拳』(P93-P94)
民国元年(1912年8月)天津中華武士会にて馬鳳図総教習が神槍李書文を破った六合大槍術秘伝【決勝槍】とは――

明の太祖(仏僧)明代『紀效新書』出門架子戦術に基づいた双手拳法加双手槍法【劈槍(等)】の極みであり、中国武術界において虚偽の騙りは許されない。 ※拳術・槍術対戦以後天津武士会では、総教習馬鳳図、名誉総教練李存義、教練李書文他などとなっている。
(『遊芸録』記:「身の丈五尺三寸痩身 神槍李書文の日々研鑽とは――六合大槍(長さ八尺・重さ八斤、手の内骨度把握法による)経絡運気素振り槍法、基本功 圏・攔・拿・扎 四法を繰り返し行った」とある。 ※筋トレ法では理解できない国術開門八極拳六合大槍…双手拳法相関双手槍法)

六合大槍術秘伝【決勝槍】

※当時李書文を持ち上げていて、李書文の評価が下がるのを嫌った武術(うーしゅう)編集者や松田隆智氏の影響で書籍内の文章は簡略化されています。
実際は、試合の前に李書文は八極拳を、馬鳳図は「李さん(中略)もしも(辮髪を)掴めなかったら私の負けにしよう」と言って大通備拳(劈掛拳)を表演。馬鳳図が小用をすませにいったところ李書文は拳法では敵わないと思ったのか「槍で試合をしよう」ということになり、槍でやり合ったが李書文は対抗できず、馬鳳図の上記決勝槍で壁に追い詰められ動きが取れなくなっていたところに霍殿閣らが駆けつけ頭を下げたことで李書文は事なきを得た‥ということが事実です。
もし李書文が勝っていれば馬鳳図の命はどうなっていたか分かりません。そこまで行かずとも天津武士会での地位は李書文が上になっていたはずです。
※書籍P93の4行目、「後になって黄林彪を訪れて劈掛拳を学んだ」の部分、正確には「師の張景星の推薦で黄林彪に拝師し大通備拳の基礎を学んだ」ということになります(劈掛拳というのは大通備拳の套路名のことです。加えると、李書文が弟子入りして1~2年で黄林彪は亡くなっています。)
※書籍P94 の最後の行、一九一四年ではなく一九一二年の間違いだと思われます。

市井の八極門六合大槍の間違い

劉雲樵(河北滄県集北頭村宦官の名家)・呉連枝(河北孟村呉栄女系外院宗家)・松田隆智氏(『拳児』著者)等により、「攔は内から外に敵の槍を払う、拿は外から内に敵の槍を払う、扎は敵を突く等の三法が六合大槍」と定義づけられて普及しているが、正しくは、河南仏教僧張岳山師祖伝統開門八極拳門戦術出門(里門・外門)出勢槍門進招に基づく連環勁道の六合大槍法(圏法「相手の槍を囲み」より攔法「相手の槍を引き止め」→拿「相手の槍を擦り」→扎法「相手を刺し、突き、止めをさす」→残心)というのが厳格な伝統武術に基づいた技術である。

※厳格な伝統継承人、政府人民体育出版社出版『中国武術大辞典』主編馬賢達・副主編馬明達 二人による証明
「馬鳳図公より『三字経』『遊芸録』などを馬賢達・馬明達二人に印可され、馬家武術の決済は二人の合意による厳格なものとなっている」
「伝授」:馬賢達老師(自宅 西安外国語学院官舎書斎にて)、馬明達老師(自宅 蘭州大学官舎書斎にて)は、私野上小達に『三字経』『遊芸録』等伝書を提出、拝読を勧め、両老師より伝書の解釈・指導を受け、伝授されたことを明記する。
※武学探真(国立東北大学、国立鹿児島大学でOBにより指導)

大通備拳・開門八極拳の基本拳術

清朝科挙制度京師八旗営緑営総教習 河北塩山県李雲標・黄林彪伝 大通備拳と、張岳山師祖河北慶雲県後庄科村呉鐘伝 開門八極拳の基本拳術とは――

暗腿(歩法の中の蹴り)を基礎として、骨度運気法にもとづいて相手動脈部位(浅部位)を拳(点撃)より肘(線撃)、陰陽手(点撃)より肘(線撃)、劈掛手(面撃)より肘(線撃)にて打撃する基本拳術訓練法であり、核心招法(大通備拳十二招法・開門八極拳八大招)への道しるべとなるもので、市井にある中国拳法・空手・キックボクシング・テコンドーなどとは異なる基礎的打撃法である。
大通備開門八極拳のものは、出勢槍門進招(里門・外門)にもとづいて直横勁の点撃と面撃を途切れることのない線撃肘法により連環させる伝統の基本拳術訓練法である。

※生前、武学体育学教授馬賢達老師は「解剖学・生理学・運気経絡学にもとづく伝統武術教伝においては炉開けが重要で、炉開けを間違うとやがて川の対岸になることは必定である」と述べ、「外院・孟村呉鐘伝呉連枝伝承の八極拳は、張岳山師祖のものとは異なる亜流異質のものである」と述べていたことを記す。
※紹介:綿拳(健康法的拳術、別名 延手)伝承人 武漢体育学院 温敬銘教授(査拳門 王子平の学生)

国術界の拝師

郭瑞祥氏※1は「父郭長生※2が馬英図老師※3に懇願し、1945年、父郭長生立ち会いの元、兄郭瑞林と共に馬英図老師に拝師できた※4」「(滄州武術館館長として)馬英図老師に感謝している」と、国立人民体育出版社 閻海氏同席の元証言した。

※1 滄州武術館館長。通臂二十四勢苗刀技法等
※2 国立中央国術館馬英図科長の部下
※3 1928年 政府主催 国術行試最高実力者。通備門総帥馬鳳図公の弟かつ馬鳳図の拝師弟子
※4 1945年 郭瑞祥・兄郭瑞林氏は馬鳳図公の孫弟子となっていることを明記しておく

通備劈掛拳継承図

中華国術 武術界『秘伝の一つ 暗腿』

[開門八極拳指導所公開]
中華国術武術界『秘伝の一つ 暗腿』とは、歩法に隠された霊活歩法連環による、靴先にて相手脛蹴り(膝から踝に至る下肢)連環即同足膝蹴りで相手下腹部を蹴り、連環即同足靴足底で相手足甲部を踏む霊活三絶連環腿を「暗腿」と称し秘伝となっている。 (市井の格闘技は自由に動く相手への対応(距離・時宜)を一足間合いで設定している現状認識を)

※河北塩山県大通備拳十二招法、河北慶雲県開門八極拳八大招※等も、招法が「暗腿」により構成されている国術であり、基本功・基本架・招法・交手という過程で習得
※開門八極拳八大招(八方位「八極」直横勁暗腿による招法

開門八極拳 槍門進招にもとづく八大招に至る習得過程

・基本功――双手拳法加双手槍法に基づく三盤手(下盤・中盤・上盤手)
 圏・攔・拿・扎 基本功などの習得
・基本架――直勁八極小架による一足間合いでの三盤手
 打・蹴・摔・拿 招法の習得
・開門法――横勁六大開による入り身・転換の三盤手
 打・蹴・摔・拿 招法の習得

開門八極拳槍門進招 圏法(圏内・圏外)暗腿にもとづく八大招により、河南岳山寺仏僧張岳山始祖伝統開門八極拳を修める――と伝書に…

国術伝統通備門の訓練法

国術伝統通備門の訓練法とは、実戦に備え双手拳法相関拳理に基づく双手武器法「長拳(河北塩山県大通備拳)と短兵法(双手刀剣法・奇槍)」「短拳(河北慶雲県開門八極拳)と長兵(六合大槍)」を通備門の拳理にもとづいて行うことである。

国術伝統通備門実戦評価の証明

日本陸軍の精鋭師団(歩兵操典にもとづいた近代兵器銃剣術双手軍刀術等※1を用いる陸軍大将板垣征四郎※2精鋭師団)は、中国抗戦地の接近戦で、中華民国西北軍大刀隊(中華民国西北軍将軍張之江※3 西北軍最高幹部馬鳳図※4率いる通備門双手刀法大刀隊)により壊滅させられた。
上記の事実は日本陸軍に衝撃を与えた歴史的戦記に残る実戦の証明である。
※1 日本剣道、下士官用戸山軍刀術、陸軍士官学校用双手軍刀術
※2 満州事変画策者で戦後戦犯で処刑
※3 国立中央国術館館長
※4 国術通備門継承人

『馬家武術の本質』について補正

『馬家武術の本質』補正

『開門八極拳 1986年6月発行』 P116-117(1988年5月、馬賢達老師、馬明達老師の指導で内容を補正)

李萼堂、劉雲樵の記述『滄州武術誌』(郭瑞祥先生より献本)

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※1992年、松田隆智氏から私野上小達に連絡があり(『拳児』作中の)六合大槍について意見を求めてきた。
『拳児外伝(松田隆智原作、小学館出版)』P46、P47 記載されている六合大槍法「これが最も重要な封閉の基本」について――
「外にまわすのが攔…攔は内から外に敵の槍を払う」「内にまわすのが拿…拿は外から内へ敵の槍をおさえる」この点について私野上小達が生前氏に間違いを指摘すると、松田氏は間違いを認め野上に対し謝罪、修正することを約束した(松田氏は「武壇の見解であった」と釈明した)
その後修正はされず今日に至っている。